名栗川橋
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建設中の名栗川橋


大正13年に名栗川橋がつくられたときの写真


今の名栗川橋
 
 今から90年くらい前、名栗材にはじょうぶな橋がなく大雨がふったりこう水になったりすると、橋が流されてしまって、材の人たちはとてもこまることがありました。とくに下名栗地区では、今の名栗川橋のところに大喜(だき)橋という橋がかかっていたのですが、大雨で一度ながされて、作りなおした橋がまたながされてしまったことがありました。

  川の橋がなくなってしまうと、山へ林業の仕事へいったり、学校(東小学校)へ行くのにも、買い物にいくのにもとてもふべんだし、川の水が多いとむこうがわへわたれないこともありました。
 
  そこで、下名栗地区の人たちは埼玉県や名栗村にたのんで、お金を出してもらって、ずっと使える、大水でも流されないじょうぶな橋をつくろうということになりました。でも橋をつくるのに、全部で当時のお金で22、330円もかかるのに、埼玉県から4、905円、名栗村から約5、600円しか出してもらえませんでした。

  下名栗地区の人たちは、世話人という地区をまとめる仕事をしてした人たちを中心として話し合い、足りない分は、橋を通って山に入る近くの町や村の人たちにきふをお願いしたり、自分たちで集めたり、けんせつ工事を手つだったりしました。

  大正13年4月3日に始まった工事は9月21日まで続き、今も当時のままのすがたで残るりっぱでじょうぶな橋が完成しました。
 
  名栗川橋と新しく名前をつけられたこの橋は、当時埼玉県にも数少ない、てっきんコンクリートでつくられたアーチ橋でした。上左の写真は、完成した橋の上で多くの人をよんで行われたお祝いの時の写真です。下名栗地区の人たちもみんな写真にうつっていて、とてもよろこんでいたことがわかります。
参考資料:「社会科副読本 みんなの村名栗」平成15年名栗村教育委員会発行 
 
橋がつくられたことを祝う石ひです。よく見ると人の名前や、出し合ったお金のことがきざんであります。      名栗川橋は土木遺産に指定されています。